毒親で育った子どもたちへ。



すべての人が幸せになる 心にとどめても見えなかった美しくもやさしいせかいを彩るー。

実は超ネガティヴ。

いろふちゃんでございます🎀

ネガティヴさえもパワーに変える術をホームレスをキッカケに自己分析をして編み出しました。

(このお話は長くなるので、いつか…需要あるのかな笑)

ブログを読みにきてくださり誠にありがとうございます

読むだけで魅力爆盛!

幸せの主役は自分。

見た目も内面も将来も私がなりたい私。

自分の在り方を一緒に見つめながら、今宵もあなたのお悩みに深く寄り添います。

詳しいプロフィール👉https://this-is-hotoke.com/self-introduction/yasasiisiawase/

 

突然ですが、

親御さまとの関係は良好ですか?

 

私は絶縁しました。

両親共にDV、育児放棄、借金、不倫。

典型的な毒親育ちです。

愛し方・愛しされ方がわからなかった。

 

そんな私が

なぜ今、前を向いて生きているのか。

愛し方、愛され方をどのようにして知ったのか。

妥協せず自分の幸せをつかむにはなにをしたか。

また、自分の在り方はー。

 

今回はお話ししたいと思います。

長いので、方法だけ知りたい方は

生い立ちの話。〜精算〜&まとめの話。だけお読みください✨

 

そして、すっっっっごく重いので元気なときにお読みください😇笑

では、お話しいたします。

 

生い立ちの話。〜離婚〜

父の浮気と暴力と借金が原因で小学生のときに家庭が崩壊しました。

ですが、父のことは好きでした。
祖父母の家に行っても父とくっついて寝ている。

 

「恭子、ブックオフ行くぞ」
と、いつも妹よりも私を連れ回してくれたのをよく覚えています。

父が本に触れさせてくれたおかげで、私は本が大好きに。

小説、絵本、漫画まで、
紙媒体の文字や絵に触れる心地よさを覚えました。

 

ですが、次第に誘われなくなり、

家にも帰ってこなくなり、

金遣いも荒くなり、

母に暴力を振るうようになりました。

元々いけないことをしたら、手が出る人で、母はいけないことをしたと思っていましたが、大人になるまで”異常”だと思わなかった。

まだその”異常”に気づいてない幼い頃にお腹をおもいっきり蹴られたことがあります。

その時に指を踏まれたことがあり、私の右手の中指はその時の後遺症で変なコブができました。
右手のコブがその時の壮絶さを思い出させます。

離婚が決まり、私は妹と一緒に母の実家へー。

当時、”離婚”というものは物珍しく、年齢も幼かったため、よくわかっていなかった。

祖父母のところへ遊びに行くのかなぁ。
なんで父は来ないのかなぁ。
会いたいなぁ。

「恭子、行ってくる」

そう言って、二度と父の姿を見なくなったあの日。

 

まさかこんなことが起きるなんて。

それが終わりで、

それが始まりで。

そんな日が来るとは、

これから待ちうける苦悩が来ようとは、

想像すらしなかった。

 

階段を急いで降りて、転んで泣いていた母の顔は今も忘れません。

その顔を見て、

「仲良くないの?」
と幼い私は初めて疑問に思ったのです。

記憶を呼び起こし、母と父の関係を思い出してみると、世間のように二人仲良く睦まじい姿はどこにもなかったです。

まず、ふたりで会話をしているイメージがまるでない。

子ども前だからというのはあると思いますが、それにしても体も心を離れている。

今になるとその距離感の遠さがよくわかります。

 

生い立ちの話。〜崩壊〜

祖父母の家の近くのアパートで暮らし初めて数ヶ月。

転校先の小学校にも慣れてきたが、母の様子がおかしくなり始めた。

常にイライラして余裕がない。

ある日、知らない男を紹介され

「この人が新しいお父さんだよ?」
と言われ、

「私の父はひとりだけだ」

と言い放った私は今でもその選択は正しいと思う。

 

後に聞いた話だが、離婚して間もないときに、その男と付き合い私たち姉妹を捨てて逃げようとしたところを祖父母たちが止めたようです。

だか、それは序章にすぎなかった。

母は専業主婦を長くしていたブランクと人を見下して謝れない・頼れない性格のせいで、職場に馴染めず定職につけずにいた。

男には逃げられ、祖父はそんな母を厳しく叱りつけ、祖母は「あなたは大丈夫だから」と子離れできず、また母もそんな祖母に甘えきって親離れできずにいた。

 

ある日。

母は自分の思い通りの現実が起こらないストレスが爆発し、

「お前のせいでこうなったんだ!」

と、罵声を浴びせ、気の済むまで暴力を振るうようになった。

痛いし、なんの思い当たる悪いことをしていないと思った私は必死に抵抗した。

祖母に話しても
「それは躾だから仕方ない。母が正しい。」
の一点張りで、聞く耳持たず。

友達に話しても「???」という顔をされた。

何より自分が他の子と違う”父がいない”という普通じゃないことに何より後ろめたさがあった。

 

中学、高校に行ってもこの生活は変わらず、学校にも、家にも居場所も理解者もいなかった。

ただ唯一あったのは、絵と文字で自分表現すること。

表現することで言葉にできない思いを昇華していた。

そんな私の描く絵は希望に満ち溢れ、見る人の心を動かすようで毎回大きな賞をもらっていた。

それがあったから、私は私という人間を保てていた。

この思いを昇華する方法は、人によって違うね。

スポーツ、読書、人との会話、物に当たる、人に当たるなど。

人を攻撃的する人は、ただ思いを昇華しているだけなのだと、大人になって気づいたが、受けた方はたまったもんじゃない。

一生消えぬ傷を負うんです。

何度抵抗しても、何度母に言葉をかけても、罵声や暴力をやめることはなかった。

 

理由がないのに、わからないのに、謝ることはしんどい。

 

次第に抵抗する力もなくなり、「殺されてもいい」そんな気さえしてきた。

しかし、もうひとりの私が「生きたい」と言って、本当に殺されそうになるときに寸止めで抵抗。

でも毎日のように死ぬことばかり考え、窒息死・首吊り・飛び降りまでやろうとした。

その度に自分の”生”に対する思いが、一線を超る勇気にならなかった。

 

生きることもまともにできず、

死ぬこともまともにできず、

ただの臆病者。

自分が何者なのか。

そもそも、なぜ生まれたのか。

生とは?

死とは?

なにもかも、わからない。

空っぽ。

 

生い立ちの話。〜解放〜

ある時期から母は料理や掃除をしなくなり、私がするようになりました。

中学生で皆が手作りお弁当を食べる中、自分だけ自分が作ったお弁当を食べる。

この時が一番、自分の家庭と他の家庭の”普通”を知らしめられる残酷な時間。

 

高校に入り、自分の力でお金を稼ぐようになり、『自分のことは自分でする』術を覚え、味方となる歳上の彼氏がいてくれたこともあり、私は家を出た。

「おまえはいらない子だ」

「おまえの顔を見ると吐き気がする」

「でていけ、死ね」

気の済むまで殴り蹴り、首を絞める。

呪いの言葉を毎日声が枯れるまで、浴びせる。

そんな生活から私は自分を解放した。

 

ちなみになぜもっと早くに出なかったのか、施設などに相談しなかったのかお声をいただきますが

したけど、意味ない。

学校の先生に相談しようが、施設に相談しようが、警察に行こうが、無駄。

当時は虐待に対して今のように過敏ではないため、「躾ですので。気をつけます」と母が世間体を気にした態度を取れば、あっさり許されてしまう時代。

私がいたところがたまたまそうだったのかもしれませんが、私の心の声に寄り添い、聞こうとする者など誰もいません。

 

正義なんて、救いなんてどこにも存在しなかった。

苦しみや悲しみは本人にしかわからない。

わかりえない。

 

そんな私を大人はみな
「可哀想」
と呼ぶ。

私は私なのに。

可哀想なんかじゃないのに。

それが一番、屈辱的だった。

そして17歳ー。
私は私の人生を探す旅にでた。

 

生い立ちの話。〜決別〜

母の幸せはなにか。

私の幸せはなにか。

母と子でいてほしい。

いろいろ話合いをしましたが、母は自分の主張ばかり。

私が意見を言おうもんなら「あんたまたそんなこと言って!」

やることなすこと、時間が過ぎてもすべて否定。

怒りを常に爆発させ、呪いの言葉を吐く。

ヒステリックに暴れ回り、気の済むまで殴る蹴る首締める。

自分の意見は絶対正しいのだから、
私を捨てた男はおかしい。
周りがおかしい。
世界がおかしい。

なにもかも周りのせいなので、自分以外の意見なんて聞く耳ゼロ。

何年過ぎようが、

男変わろうが、

話す、という行為が本当になかった。

 

実は私が心理学、行動学、脳科学を学び、心理カウンセラーになったのは、まず母と話したかったからなんです。

この行動をして、この言葉を言ったから、こう思っているから、こんな対応したら聞いてもらえる。

 

そんなことを繰り返し、父から受け継いだ借金を受け継いだら、身の振り方が軽くなって、余裕ができる。

余裕ができたら愛してくれるかもしれない。

という一寸の希望を持ってしても、いつもだめ。

 

『なにしてもだめ』

これしかないです。

母ではなく、どんどんクライエントさんになっていき、

母でいてほしいという願いは、心のどこかにしまった。

5年以上も平行線のまま、仕事が人生のすべてで生きていた頃。

ずっと結婚はできないんだろうな、と諦めていたけれど、突然

「結婚したい!!!」

と覚醒した。

 

そこからもうアプリ、相談所、パーティー、占い、本など、ありとあらゆることを試しまくる日々を2年半。

復縁したけど結局縁ではなく、もう焦りまくり。

 

そんな矢先「結婚を前提にお付き合いがしたい」とアプリで言ってきた男に出会い、初対面からプロポーズされ、オッケーした。

堀北真希さんが交際ゼロ日婚をされたこともあり、結婚の二文字の魔力に取り憑かれていました。

今は正気ではない判断だと、冷静に言えますが、当時はそこまでしても自分は結婚がしたかったし、

そうまで追い込まないと結婚できない人間だとも思っていた。

婚約は流石に報告したが、無反応。

まぁそんなもんだよなぁーでした。

ですが、同棲3日で

「生理的に無理!」

と、魔法が溶け始め…

2ヶ月で婚約破棄。

男は怒り狂い、私のすべてのものを返さないし、家に入れないと追い払った。

そう、私はホームレスになりました。

 

その時着ていたワンピース、ハイヒール、バッグ、数万円の所持金、その他小物。

それだけ。

それだけで、私は泣きながら、行くあてもなく、歩き続けた。

 

何日かして、母に電話をかけ、家に行き

「お願いです。2、3日でいいから泊めてほしい。」

と土下座をした。

こんなになったし、今までのことがあるし、やっぱり母と子。

最後は受け入れてくれる。

最後は分かり合えると思っていた。

「無理」

この拒絶が、今までのどんなことよりも、絶望。

何も考えれない。

頭が真っ白になるとはこのことでした。

あぁ、私は心のどこかで

母でいてくれると
愛してくれると、
受け入れてくれると

だってそれが親子という”普通”なんだから

何されてもどんな傷を負っても信じていたんです。

それが全部、崩れ去った。

 

生い立ちの話。〜精算〜

私は社会にでて、沢山のお客様にお会いし、沢山の生き方や心に触れさせてもらいました。

本も沢山読み、沢山知識を増やし、資格も取りました。

それらは私の一生ものの宝。

それがあったからこそ、

愛や幸せを学び、

自身の幸せを掴みきれない根底の原因『親』と向き合うことができました。

 

そして、

ホームレスになり、自分と嫌でも向き合う時間が多かったので、とことん自分と話しました。

どれだけ親に人生を縛られていたか、

どれだけ親に命を毒されていたか、

離れてみて、正真正銘捨てられて、

本当に実感しました。

 

体も心も痛くない。

何も恐れず、

何も隠さず、

健やかに生きれる。

安心して息できる。

 

100%言いきれることは、

毒親とは一緒に生きれません。

 

親だから当たり前のように愛してくれる、

なんでも受け入れてくれる存在になってくれる、

義務教育まで育ててくれるなんてない。

 

親だから、

家族だから、

世間の常識や普通なんて、

あなたに一ミリも味方してくれないです。

自分の身は自分が守り、

自分の人生は自分が生きる。

自分が自分の命の責任を持つんです。

自分の人生丸ごと自分が受け止めるんです。

 

愛してくない、愛し方がわからない、育ててくれない。

嘆いていても、世界を呪っても

例え事故に遭おうが、鬱になろうが、ホームレスになろうが

自分が自分の世界一の理解者&味方になる。

本当の自己紹介の話。

👆記事をご参照ください。

 

まとめの話。

私、そしてあなたの過去はすべて今に繋がっている。

縁が巡り巡って繋がっている。

 

私もあなたも

生まれてくれて、ありがとう。

生きてくれて、ありがとう。

自分に生まれて良かったんだよ。

あなたはあなたに生まれて良かったんだよ。

他の誰にも体験できない

真似出来ない

この傷みも、
この絶望も、
試練さえも、

そしてこれから訪れる幸せも全部自分だけのものです。

 

自分の人生を生きることを選び、受け入れる。

深い悲しみを経験した人ほど、強く美しく生きることができるんです。

 

してもらえなかったことを、自分がしてあげよう。

自分が自分を丁寧に育て直そう。

これをやっとして、私は自分の人生をちゃんと生きれました。

なりたい自分になれて、求める幸せをつかむことができ、夫に出会いました。

 

私の過去を黙って聞いて、
「頑張ったね、偉かったね」
と無条件で愛してくれました。

また、夫は普通の家庭で育ったため、私の家庭環境はわからないけど、わからないものとして受け止めてくれました。

わかるふりをする
可哀想だと同情する
これを夫はしなかったんです。

そんな最高の夫と現在は3年目。

毎日付き合いたてかのようにくっつき、愛を深められる関係です。

 

そして、愛本式自己分析診断可視化カウンセリングを確立し、

カウンセラーとして、

相談所・お見合いサービス仲人として、

この経験や学びを糧に、同じ境遇の方の傷に寄り添うことができ、共感もできるようになりました。

そして一緒にどうしたらいいか、根元を探し、解決策を見つけ350人以上の方の

【なりたい自分】
【求める幸せ】

をお手伝いして参りました。

それは、私だけの特権であり、使命なんです。

断言します。

何度も諦めても、
何度も挫けても、
何度も地獄を見ても、

なりたい自分になれます。

幸せになれます。

だって、

不幸は人生バグ。

あなたは幸せにしかならない!

あなたはとても価値がある。

愛される。

大切にされる。

今は信じられないかもしれません。

それで大丈夫です。

この紛れもない事実は、いつか必ずあなたの前に訪れます。

 

自分のために、幸せになることを選ぼう。

ゆっくり、少しずつ。

自分ペースでいいんです。

 

私はあなたの幸せの一番の味方です。

あなたの
【なりたい自分】
【求める幸せ】
が私の最大の願いです。

もうひとりじゃない。

 

 

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